大山寺住職の金本拓士と申します。
わたしは、平成5年に鴨川市に、今の妻との緣で住むようになりました。結婚する前、妻から初めて紹介されたお寺が、この大山寺でした。
お寺の本堂そのものは、県の重要文化財に指定される程、長い歴史を持ち尚且つ威風堂々とした立派な建造物でしたが、長い間、修復もされないままになっており、多くの箇所が傷み、また雨漏りするような状態でした。
また最初に、このお寺の中に入ってびっくりしたのが、ご本尊さまです。県指定のりっぱな力強い不動明王であり、さらに驚かされたのは、そのご本尊を納めた厨子です。宮殿作りで、本来ならば極彩色で彩られたであろう、みごとなものでした。
そして、このようなすばらしい、お寺の財産を持ちながら、なぜこうも長い年月ほったらかしにされたままになっていたのだろうかと、非常に悲しい感情でいっぱいになりました。
とにかく、最初にこのお寺を何とかしようと思ったのは、まさにお寺との最初の出逢いからでした。
まず、お寺をなんとかしなければならない、と思ってみても、資金がどこにもない。さらにその前に、もっとなんとかしなければならなかったのは、この大山寺が宗教法人に登録されていないことでした。
大山寺は、もともと江戸時代までは山伏の寺、修験のお寺でしたが、明治政府の神仏分離令により、大山寺本堂は神社の附属建物と成り下がってしまいました。以来、地元の人びとは、お寺も神社も区別なくお詣りし、不動明王を本尊とする大山寺が仏教寺院であることすら、すっかり忘れてしまっていました。
わたしがこのお寺に入るまで、大山寺は、地元の役員さんたちの力で、なんとか節分会、大般若会、柴燈護摩火渡り祭といった仏教行事をほそぼそと勤めていましたが、これでは、お寺としてりっぱに立て直すことができないと考えました。
最初に取り組んだのが、柴燈護摩の法要を盛大にすること。そして仏教のお寺としての宗教法人を取得することでした。
幸いに、柴燈護摩の法要も盛んになり、また宗教法人の資格も三年間の努力によって取得することができました。
次は具体的に本堂修復に向けて何とかしなければなりません。わたし自身、商才もなく、資金を集めるだけの人徳もありません。ただできることは、僧侶としてひたすら本尊に祈ることです。
2011年、それは東北の大震災という日本にとって大変な年でしたが、わたしは、本堂修復と共に日本の復興を願うために、密教の秘法中の秘法である、焼八千枚護摩供修行を勤めることに決意をいたしました。
途中さまざまな障礙が襲ってきましたが、何とか無事に勤めきることができました。
おかげさまで、焼八千枚護摩供修行のかいあって、大山寺への地元での関心が徐々に弘まり、地元議員をはじめとして、多くの方々が大山寺修復プロジェクトを立ち上げていただくことになりました。
今回二度目の焼八千枚護摩供修行を勤めようと発願しましたのは、まさに、大勢の方々が大山寺のために、無欲の奉仕を勤めていただいている中で、僧侶である私ができること。それは、やはり本尊にひたすら祈ることしかないと心を定めました。
以上の事由によって、修復プロジェクトで労力を惜しまず頑張っている方々の努力が報われ、大山寺修復が具体化することを祈念するため、もう一度、この焼八千枚護摩供修行を勤めることを発願した次第であります。